「ボニュ」コンセプト & 「来栖けい」ご挨拶

流通が発達した近年、昔とは違い、どこにいても世界中の上質な素材を扱うことが可能になりました。 しかし、そこには疑問もあります。 「他と違う料理、お菓子を作る=今までにない組み合わせの提案」になってしまっているのです。 素材が溢れる今、シェフの気質的にも、様々なものに触れてみたいその気持ちは理解できます。 しかし、これまで扱ってきたポテンシャルの高いメインの食材に、出逢って間もない野菜や調味料を合わせることが「進化」なのか。 私はそうは思いません。 どんなに味、香りの相性が良い食材同士であったとしても、生まれた場所や歴史的背景も含め、人の記憶を味方につける領域までには至らない。 「日本の秋刀魚」に、どんなにポテンシャルが高く相性のいい西洋野菜を合わせても、 “秋刀魚の塩焼き(秋刀魚+大根)”の前では、存在感、説得力ともに遠く及ばないのはそのためです。 それが「おいしさの本質」であり、いつの時代も変わることのない「王道の領域」。

この食材の流通の発達、情報の発達によって、フランス料理の定義、イタリア料理の定義etc…が薄れてきたのも事実。 それは自然な流れなのかもしれませんが、何でも扱えてしまう今の時代だからこそ、組み合わせ云々ではなく、より一層「素材との会話」が重要になってくるのではないでしょうか。

「シンプル+オリジナリティ」、これが「ボニュ」の求める料理です。 視覚的要素が強く華やかさもある現代風のフレンチ、イタリアン、スパニッシュでもなく、かといって伝統的なシンプルさを備える日本料理とも違う領域…。 説得力のある手法を施しながらも、「盛らない勇気」を持って限りなくシンプルに仕上げることで、シンプルなおいしさのさらに上をいくという唯一無二の料理スタイルです。 一般的な料理ジャンルに当てはめるとすればフレンチですが、ジャンルは決して重要ではなく、「ボニュ」ならではの“シンポリー(シンプル+オリジナリティ)”スタイルを貫きます。

7品構成のコース料理を食べたとします。 数日後、または数か月後、その7品すべてを明確に憶えていることが果たしてあるでしょうか。 「2品目の前菜と肉料理はおいしかったけど、あと何だっけ?」という事態が当たり前のように起こります。 それはなぜか。 単品ではなくコースで提供しているにも関わらず、一皿一皿完璧にバランスをとろうとしてしまうからです。 特に問題なのは視覚的要素。 料理人もアーティストなので、料理のみせ方はもちろん大事ですが、それを食材で表現してしまうことによって、何を食べさせたいのかが不透明になってしまうのです。 それが7皿も続くと、記憶の中で複雑になりすぎて、素直にフラッシュバックしにくくなる。

人は、思い出の食べものを聞かれた時に、「○○の時に食べたオムライスがおいしかった、○○で食べたハンバーグがおいしかった」とは言いますが、「○○に食べたAとBとCが入っていてソースがDだったものがおいしかった」とは絶対に言いません。 おいしいのは当然のこと、「ひと言で説明がつく」ということと、「記憶を味方につける」ということも非常に重要になってくるのです。

また、日本料理は「引き算」ゆえに、シンプルで私は好きなのですが、例えばお造り3種盛り。 魚は、寝かし加減や包丁の入れ方で味わいが変わってしまうのは当然です。 しかし、それは日本を代表する東京のAさんと、そのお店で働く4番手のBさんの間で比較をした際に起こることであり、日本を代表する東京のAさんと、同じく日本を代表する京都のBさんの間で比較した際には、実際のところ差はでません。 つまり、そこでしか絶対に食べることのできない、「オンリーワンの味」ではないのです。

「ボニュ」が発信する料理は、シンプルでありながら、そこでしか絶対に食べることのできない料理。 いい意味でジャンル云々ではなく、目の前の食材を、最小限の手数で、なおかつ記憶に残るオンリーワンのものへと昇華させます。

そのため、料理に合わせてお皿も作ります。 使いまわしのきくオシャレな柄のお皿というわけではなく、Sという料理にしか使えないS’という皿を作ります。 わかりやすい話、ロールキャベツという料理があったとしたら、お皿はキャベツゆえに畑のニュアンスにし、料理とお皿を完全にリンクさせるということです。 通常、主役の「料理」を「お皿」が超えることはありません。どんなに譲っても、「料理6 お皿4」ではないでしょうか。 しかし、当店では、目の前に運ばれて来た時点では(視覚的には)、「料理2 お皿8」で構いません。 そのかわり、食べた瞬間に、その比率を完全に逆転させます。

店名の「ボニュ」は、フランス語でも英語でもありません。 ボニュ=母乳(ぼにゅう)。 人間が初めて口にするもの、つまり原点であり、何でも手に入ってしまう(どんな素材でも使えてしまう)今だからこそ、シンプルで奥深いものだからこそ、その大切さを忘れないために名づけました。 また、フランス語でBon(良い)nu(裸)。 直訳すると「いい意味での裸」です。 視覚的要素が大きいアート的な「ヌード」ではなく、あくまでも「裸」。 飾らないありのままの姿(素材の持ち味や本質)を脳裏に焼きつけるという意味も込められています。

正直、店名は一番悩んだのですが、私たちが発信していく料理を考えた時に、これ以上しっくりくるものはありませんでした。 いろどりであったり、食べ飽きないためであったり…、の次元の表現はしない。 つまり、「食材を使って」メインの食材を視覚的にサポートするような魅せ方はしないということです。

「シンプル」

言うのは簡単ですが、ここでしか食べることのできない、オリジナリティあるシンプルさ。 一切を排除しても、着飾ることをしなくても…の世界を表現していきます。

2014年12月10日に、私来栖けいはデビュー10周年を迎えました。 その大半を食べ手として歩んできましたが、そのすべてを捨ててでもやらなければならないことが、今回のレストラン&パティスリーです。 若手育成のレストラン「エキュレ」での実践経験と、そこで出逢った代えのきかないスタッフ、そして20000軒以上の食べ歩きによって得た、ぶれることのない食理論。 これらによってようやく見えた、私の進むべき道です。

どんな人でも、時が経てば考え方が変わるのは当たり前。 しかし、料理のスタイルや手法がころころ変わるのは違います。 それは単に定まっていないだけ。 私の場合は、あくまでも「食べ手」として食の世界にいたつもりです。 実際に今でも食べることは大好きですが、自分の中での食理論が確立すればするほど、文章が書けなくなってしまいました(自分の食理論が邪魔して、100%手放しでのおすすめ原稿が書けなくなってしまいました)。 私は元々取材をして文章を書くスタイルではありませんし、言ってみれば勝手に食べ歩いて素直においしいと思ったものだけを勝手に書いていただけ。 よって、仕事という感覚は全くありませんでした。 仕事のために食べ歩いて、取材をして書くという、ある意味割りきった部分があれば、私も書き続けられたかもしれません。 しかし、今まで自分のやりたいように生きてきた私にとっては、自分の気持ちにウソはつけないので、10本あった連載も、すべて辞めました。 自分発信でおすすめのものを紹介することも辞めました。 でもこれは、辞めたくて辞めたと言うよりは、今(今後)自分がやらなきゃいけないと思っている次元のこと(自分の食理論を発信する場をつくること)を実践するために、そうせざるを得なかったと言ったほうが正しいかもしれません。 自分の食理論と異なるおすすめのものを紹介することに対する矛盾、そしてそのような人が言っていることに信憑性があるわけはないので。 食を突きつめたら、自然と今の立ち位置になったというわけです。

よって、この立ち位置、方向性は今後も変わりません。 今までの来栖けいは、あくまでも序章。 代えのきかないスタッフとともに、集大成をここからスタートさせます。

人によっては、私の考え方や発言等を、生意気にとる方もいらっしゃると思います。 たしかに、「食」以外の部分は、人に何かを言えるほどの力も人格も持ち合わせてはいません。 しかし、私が唯一誇れる「食」に関してだけは、誰になんと言われようが、自分に正直でありたい。 ただそれだけです。 決して現在の食を否定しているわけでもございません。 ただ、これほど食が溢れる中で重要なのは、ニーズ云々ではなく、お店側からの提案+説得力。 いかに納得させられるかだと私は思っています。 いろいろ不器用で申し訳ございません。 スタッフ一同、それぞれの強みを生かし、健全にぶれることなく真っ直ぐ突き進んでいきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 「ボニュ」にて、皆さまにお逢いできますことを、心より楽しみにしております。

2015年7月 「ボニュ」主宰 来栖けい